ご先祖は100年前のアメリカに何を見たのか

日系アメリカ人1世の先祖史を調査中です‼

神アプリ“FAMILY SEARCH”に刮目する①

f:id:findmyancestorincalifornia:20210409115814p:plain




 前回の人名辭典(じんめいじてん)の情報をいただいたことで調査の幅がグッと広がりました。まるでアイテムをゲットしたことで次のステージへの扉が開く、ゲームのような感覚です。それは決して例え話ではなく、記されていたキーワードによって現実となりました。

 

「現メリスビル日會評議員」。日會とは日本人会を指し、アメリカにおける日系移民の暮らしを支えるための情報提供や交流、共通の利益の擁護などを目的とした組織で、戦前は主要都市にあったようです。他にも似たような目的で〇〇県人会などもありました。宗三郎がなぜお隣のユバ郡のメリスビル(メアリーズビル)の日會に属していたのかは、日米新聞の広告欄を調査していくと何となく解ります。同広告欄は広告費の大小によってもレイアウトが異なりますが、おおむね各都市にまとめられています。

 

 羅府=ロサンジェルス、佐市=サンノゼ、桑港=サンフランシスコ、布市=フレスノ、櫻府=サクラメント、須市=ストックトン、王府=オークランド、傳馬=デンバーの都市名は多く散見されます。それに対してコルサは情報量としては少ない方です。恐らくコルサは他に比べて日系移民が少なかったのでしょう。こうした地域は、最寄りの都市の日會の傘下としてカウントされていたのではないでしょうか。だとすれば宗三郎がメリスビル日會の役員であったことも自然な流れと言えそうです。しかしこのあて漢字、日本人の発想の豊かさに感心させられませんか? ちなみにコルサは普通にカタカナ表記でしたww

 

 FAMILY SEARCH
 このメリスビルという地名と日系移民についてググッてみると、僕と同じようにアメリカに渡った先祖を調べた方のサイトに辿り着きました。メリスビルに関しては記事中、日本人街のあったリストに箇条書きで記載されていたのみでしたが、この方の記事がなかなかに面白く、ためになりました。彼の場合、当時アメリカに暮らしていたこともあり積極的な調査ができたようです。羨ましい! 

 

 でもって先祖を探すために何をしたか、どんなツールを使ったかが記されており、そこに紹介されていたのが、キリスト教会を母体とする非営利の家族歴史団体、無料の家族歴史と系図記録 — FamilySearch.orgでした。日本語でも操作が可能で、スマホのアプリもあったので早速登録して使ってみました。

 このアプリは家系図を作って情報を共有できる他、在外日本人の歴史的記録、公文書を見つけることができる機能が備わっています。氏名・出生地・出生年・記録を絞り込む国や州など、判っている範囲の情報を入力すると検索できるという。入力情報が多ければ多いほど精度も上がります。では宗三郎の情報を入力し、検索してみましょう。

 

 

 

 

 出てきました!

 

f:id:findmyancestorincalifornia:20210226034055p:plain

なにこのアプリ、有能かよっ!!

 

在米日本人 人名辭典

 母の証言から始まり戸籍謄本のコピー、GOOGLE MAPへと進み、国内での調査で残っていたのは、現在も唯一つながりのある和歌山の親戚から情報を得ることでした。

 

 期待に胸を膨らませ、ようやくコンタクトを取ったところ、彼の口から発せられた言葉は……。

 

 

「いや〜、僕も18で実家を離れちゃったから親戚の消息なんて知らないんだよね。えっ、移民? そんな人いたの? 知らないね〜」。

 

 絶句です。ものの5分で撃沈ですよ。やはり外に出たがりの和歌山県人(僕の中にも同じ血が流れているようですが)。嗚呼、あとはいつ行けるかわからない現地調査しか、得るものはないのだろうか。ってことは早くもネタ切れ宣言か……。

 

 そんな意気消沈の僕でしたが、ダメ元でとある方にインスタグラムのDMからコンタクトを取りました。カリフォルニアにおける、戦前の日系移民と稲作に関する研究をされている元大学教授で、コルサに残る日系人の方々への聞き取りや公的書類の調査を実際に現地で行った、日本人で誰よりもコルサと日系人のつながりを知る方です。事情を話したところ非常に興味を持ってくださり、宗三郎に関する記述がないか、お手持ちの資料で探してくださるとのことでした。

 

 2~3時間の後だったでしょうか。「宗三郎さんの記述を見つけました」と当該の写メを送ってくださいました。

 

 これまで戸籍謄本が唯一の手掛かりだったのが、遠く離れたアメリカに先祖の痕跡が公文書として保存されている。その資料と対面できるとは夢にも思いもよりませんでした。

 

f:id:findmyancestorincalifornia:20210226032625j:plain


 出自は現地の日系移民向けに発行されていた「日米新聞」社が1921年10月~1922年3月まで戸口調査し、1922年11月28日に発行した「在米日本人 人名辭典」です。カリフォルニア大学バークレー校のライブラリーが所蔵する資料の写しです。当時、同新聞社の記者が1件ずつ日系移民のもとを訪れて戸口調査をし、データ化したものだそうで、相当の労力をもって成し遂げたことが想像できます。

 

 五十音順に並んだ人名の中に宗三郎の名はありました。その情報がもたらす破壊力はすさまじいものです。

 

 

 

f:id:findmyancestorincalifornia:20210226032733j:plain


1.鳥居 宗三郎 

2.和歌山懸東牟婁郡本宮村

※日本の戸籍謄本に記されていた住所と合致します。

3.P.O. Box 609, Colusa Cal.

※他の方は住所が記載されていましたが、彼の場合は私書箱でした。残念ながら検索エンジンでは発見できませんでした。

4.明治18年生まれ、37年渡米、40年現住地に移りビンズ1,100エーカー経営

明治18年=1885年生まれも戸籍に一致します。(明治)37年=1904年に渡米。(明治)40年=1907年にコルサ現住所(恐らく15 4th Street Colusa)に移転。
ビンズ=英語のBeans=豆の農園1,100エーカー(44,712.8アール=東京ドーム約95個分)を経営

5.現メリスビル日會評議員

メリスビル=Marysville=現在はメアリーズビルと呼ばれ、戦前はやはり日本人街が存在していました。なぜかコルサ郡ではなくユバ郡に属する都市で、日本人会の委員を務めていたようです。

6.家族妻麻智恵 子及び一男二女

妻の麻智恵と長女、長男、次女を指しています。戸籍謄本には三女に英子という人物がいることになっているのですが、その記載がありません。この点については後々考察していきましょう。

 

 

 在米日本人 人名辞典がもたらしたのは、喜びの発見と困惑でした。戸籍謄本では1915~1918年の期間はコルサにいたことが確認できましたが宗三郎がいつ渡米したのか、またどのくらいの期間移住していたのかは謎でした。麻智恵と結婚した大正2年=1913年の後くらいに渡米したものだと勝手に想像していましたが、それよりずっと以前の明治37年=1904年だったとは……。まさに20世紀の初頭で、かのジョン万次郎がまだ生きていた時代です。そしてこの人名辞典が1921~22年の期間で取材を行っていることから1904~1922年の18年間、かなり長いこと彼はカリフォルニアで生活していたというこも大発見でした。

 

 しかし新たな謎が生まれました。4.の記述です。母から聞いていた宗三郎の職業は洗濯屋=LAUNDRY MANでした。しかし、かなり広い農地で豆を生産していた、という新事実が発覚したからです。じゃあ洗濯屋だったというのは記憶違いだったのか……。

 

 

 謎はますます深まるばかりですが、とにかく日米新聞の存在を知ることができ、前回紹介したHOOVER INSTITUTIONに膨大なアーカイヴがあることを知った今、宗三郎一家の残像を追い求める僕の調査は、間違いなく核心へと近づいているように感じているのです。

 

歴史の闇に葬られた、日本人街の残り香

f:id:findmyancestorincalifornia:20210205141419p:plain
 前回の記事から随分と間隔が開いたので「コイツ、もはやネタ切れか……」と思ってはいませんか?いえいえ、実は非常に有益な情報をもたらすであろう資料をオンラインで、しかも無料で閲覧できるウェブサイトを発見してしまったことで、調査に没頭している次第です。 

 

 そのひとつが米スタンフォード大学HOOVER INSTITUTIONが所蔵する、邦字新聞のデジタルアーカイヴです。この資料は実に膨大で、主に戦前に各新聞社が日刊で発行していた邦字新聞の、発行年月日ごとに全ページがスキャニングされているもの。1900年代初頭は歯抜けが目立ちますが、1920年代までくると毎年・毎月・毎日・各ページが揃っています。理由は後々述べますが、僕は数ある新聞社の中から大手だった日米新聞に焦点を当てました。現地の日系人向けの新聞ですので当然ながら当時のアメリカでの出来事に加え、日本での出来事、そのほか世界で起こっている紛争などが報じられています。

 

 しかしながら僕が最も興味があり、一字一句見逃さないように調べているのが、各ページに設けられた広告欄です。宗三郎は洗濯屋=LAUNDRY MANを営んでいたことから、例えば出産や引っ越しの折に人手が足りず、求人広告を出していたのでは? と仮説を立ててみました。

 

f:id:findmyancestorincalifornia:20210205141508p:plain

右/洗濯職工を募集するトゥーレアリ群ヴァイセイリアで営むサンライス洗濯所。左/須市とはストックトンの当て字。出典元: “HOOVER INSTITUTION” 日米新聞.1913年10月1日 9ページ

f:id:findmyancestorincalifornia:20210205141739p:plain

中央/フレズノの一等地で収益の多い洋服洗濯所(乾物も取り扱い)を譲渡したいと訴える藤本洋服洗濯所の広告。現在ならドライグッズが一般的ですがドライグーツというのがオツです。ちなみに布市とはフレズノの当て字。出典元: 同じく“HOOVER INSTITUTION” 日米新聞.1913年10月1日 9ページ



  カリフォルニア州ひとつとっても広大で、当時は新聞と仲間内を介しての噂話だけが情報源。この新聞には沢山の広告が掲載されており、これがまた興味深い。日系商社や英会話教室、医院、旅館、料理店、家具店、酒屋、米や薬のブランド……と多種多様な広告がひしめき合っています。その店名や文言、今とは読み方が異なるカタカナ英語、そして漢字を充てた地名など、ページを捲るたびに香ばしい。以下、そのほんの一部をご覧ください。

f:id:findmyancestorincalifornia:20210205142209p:plain

日本人を歓迎す、と銘打った 「トムの酒屋」。魚屋なのに洒落た名前の「キャピタル魚店」。働き口の斡旋から手紙の取り次ぎ、フロントには床屋もある業務過多な宿「熊本屋旅館」。読みづらいですが櫻府という記述はサクラメントに漢字を充てたものです。しかし料理屋や旅館が多いですね。出典:同上 1913年10月1日 4ページ

f:id:findmyancestorincalifornia:20210205142301p:plain

「THE UNITED HOME BUILDER」は、確実有利なる建築会社の株を買いたまえ、とずいぶんな上から目線。これが当時の流行らしい。よく似合う帽子は3ドル50セント。$に似ているから弗(ドル)と読み、発音が似ているから仙(セント)と読む。王府はオークランドの漢字表記。ほら、右下にまた洗濯職工と見習い各1名の急募が。その隣には靴工店譲渡とも。出典:同上 1913年10月1日 5ページ

f:id:findmyancestorincalifornia:20210205142339p:plain

アメ車の最新モデルをレンタルで、といったところ。ちょうどフォードが画期的な“流れ作業”を編み出した2年後の1915年ですから、レンタカー屋も大盛況だったのでしょう。出典:同上 1915年8月1日 8ページ

f:id:findmyancestorincalifornia:20210205142743p:plain

ポップなパッケージデザイン、そのイラストと文字の配置、程よい情報量など非常にバランスの良い「岩上合名会社サンフランシスコ支店」が供する朝日米の広告。出典:同上 1915年9月1日 8ページ


 

 しかしこれだけの広告量……。そこから透けて見えるのはウエストコーストを中心に、戦前は日系移民のコミュニティ=日本人街が沢山存在し、非常に規模が大きくて活気づいていたということ。これほど基盤がしっかりしていて盛況だった日本人街が日米開戦後の強制収容を機に土地や家、ビジネスを不当に奪われて、どんどん衰退していくわけですよ。

 

 もうね、先祖のルーツ探しのはずがアメリカ日系移民史の深層部に入り込んでしまったと言えるでしょう。ちなみに以上の新聞記事、および他の新聞・雑誌のデジタルアーカイヴはHOOVER INSTITUTION Library & Archivesの邦字新聞デジタルコレクション

Hoji Shinbun Digital Collection

で閲覧できます。日本人諸君、斯様に深淵なる戦前の邦字新聞の世界を御堪能あれ!

 

超常現象博物館&体験センター

f:id:findmyancestorincalifornia:20210205114900j:plain
 今回の記事は、若干怖い話を含みますので、苦手な方は飛ばしてしまわれた方がいいかもしれません。

 

 宗三郎一家が居を構えた741 Main Streetは、“OLD CHINATOWN DISTRICT”として歴史に名を残す建築遺産であったことが判りました。しかし歴史が長いからこそ、その闇もまた深いようです。アメリカ史は輝ける新天地の歴史がある一方で、その裏には虐殺と迫害、差別の歴史もたくさんあるのです……。そして過去の出来事は時に“カタチを伴わない、ある種の痕跡”を残すことがあります。

 

 

心霊スポット、あるいは事故物件!?

 以前、この地はサクラメントリバーを中心にインディアンの文化があったことを申し上げましたが、白人入植者によって彼らインディアンが討伐された、つまり強制移動や虐殺があったことが容易に想像できます。そしていくつかのウェブサイトは、この地がかつて虐殺されたインディアンの骸を埋葬する地であったことを教示しています。その地に建てられたのがこのレンガ造りの長屋です。

 

 また、中国人移民がこの地にコミュニティを作り、しかし一方で地下トンネルを介して様々な犯罪に手を染めていたことも述べました。この当時の西海岸はサンフランシスコを中心に、中国からの大量移民の中から犯罪組織がいくつも生まれ、組織同士の抗争も多かったとか。Tong Warsと呼ばれたこの抗争については2017年頃、アメリカのエンタメニュースでも言及されており、TVドラマ化されることとなって監督にはウォン・カーウァイが抜擢されたとありますが、その後どうなったのでしょうかね。

 

 こうした歴史背景を裏付けるかのような霊現象が、この建物で起こっていたことをWilliams Pioneer Review(アーバックル、ウィリアムズ、コルサ、マックスウェル地域の地元新聞)は伝えています。2010年3月5日発行の同紙で、Elizabeth Kalfsbeek記者が紹介しているのは「この地所に新たなレストラン“It’s Crepe Place”がオープンする」という内容なのですが……。(※当該の元記事は、以前はFreeで閲覧できましたが、現在では有料となっているようです)

 

 オーナーのJohn Ketelhutさんはアーティスト肌&チャレンジ気質らしく、運転手から舞台装置、照明エンジニア、音響エンジニアとして働き、さらにミュージシャンとして4枚のアルバム、自らの臨死体験を記した書籍の執筆を手掛けるなど、実に多彩な才能の持ち主。その彼がレストランを開くという話の中で、この建物にも触れています。

 

 新聞の記事によるとこの建物は1877年に建てられたとありますが、文献によってその年号はまちまちのようですね。さてJohnさんは引っ越して早々に怪現象に遭遇します。

 

 「中国の楽器の演奏が家のどこからともなく聞こえてきたり、キッチンで騒音がするのを体験したり、また誰もいないのに葉巻の煙の臭いが立ち込めたりする」という超常現象を体験したそうです。そこで興味を持ったJohnさんは超常現象研究者のサービス(いわゆる霊媒師やゴーストハンターの類ですかね)に依頼して、建物を診てもらうことにしたそう。

 

 するとここには4人の幽霊が住んでいるということを聞かされたそうです。その内訳はというと、「鈍器で殴られたような外傷を頭に追った女性、杖をついた年老いた東洋人男性、若くて物静かな中国人男性、そして意地の悪いカウボーイ」だそう。ちなみに別の文献ではその数年前に30代と10代と思しきインディアンの女性の骨が発見されたとの記述も見られます。この結果を受けたこの地所は国際超常現象研究協会(こういう協会があるんですね)によって公式心霊スポットに認定されたそうです。

 

 果たしてこの記事が書かれた後、使命感に燃えたオーナーは無事にレストランをオープンさせることができたのか!? それが、いささか懐疑的なのですよ。というのもSNSで僕の調査に協力を申し出てくれたアメリカ人の一人が言うには2012~2013年に、ここは“Colusa Paranormal Museum & Experience Center(コルサ・超常現象博物館&体験センター)"という香ばしい名前で運営されていたと。すでに閉館されているのですが、アメリカのYelpにも掲載されていてレビューは酷評ばかり。お金を取って超常現象を体験させるエキセントリックな商売はどうやら成立しなかった……。“It’s Crepe Place(=不気味な場所)” は実のところ、別の意味で “It's Creep Place(=奇怪な場所)”になってしまったのですね。


 さて、宗三郎の長女が生まれたのはこの住所で間違いないのですが、出産届のわずか2年後、つまり長男誕生時には15 4th Streetの住所に引っ越しています。その理由が頻繁に幽霊を目撃したから、ではなかったことを切に願うのですが……。

そこは果たして106年前に先祖が住んだ家だった

f:id:findmyancestorincalifornia:20210205112214j:plain


 北米加刕コルサ郡コルサ市メエン街七百四拾壱番地=
アメリカ合衆国カリフォルニア州コルサ郡コルサ メインストリート741。

 

 戸籍謄本によれば、ここが大正4年(1915年)に宗三郎夫妻待望の長女が生まれた住所であることが記されています。

 

 前回、この住所をgoogle street veiwに読み込ませるたところ、このなんとも古めかしいレンガ造りの建物に辿り着いたのです。

f:id:findmyancestorincalifornia:20210205110952p:plain

f:id:findmyancestorincalifornia:20210205111012p:plain

 店舗のような外見で、同じデザインの扉と窓がセットになって横一列に並ぶ様は、日本的にいうと「長屋」的なものなのでしょうか。外壁はすべてレンガで組まれています。該当する住所はこの長屋の奥にちょっと顏を覗かせている2階建ての住居スペースのようですが、この造りには築100年以上経過している香りがプンプンします。

 

 それが事実であれば宗三郎たちが住んでいた跡地、と言うより彼らが実際に生活していた家が、今も現存しているということに……。それって冷静に考えても鳥肌ものです。 行ったこともないカリフォルニアの僻地に、自分と同じ遺伝子を持った先祖の足跡が、今も残っている。そんなロマンを感じさせる経験なんて今の今までしたことはありませんでしたヨ。

 

ここまで古さを感じさせる建物には、きっと何かの情報があるに違いない。そこで検索エンジンを使ってこの住所、建物の情報を漁ってみましょう。果たしていくつかの情報を得ることができました。

 

 

不動産情報

 この物件は2007年に5万2000ドルで売却されているようです。情報によると1140スクウェアフィート(約106平米)の敷地に部屋は3つとあり、地下室と中庭(恐らくはこの長屋のレンガ壁の向こう側)があるとのこと。そして、何よりもこの地所が建てられたのが1907年となっていることに目を奪われました。1907年ですよ! 

 

 宗三郎夫妻の長女の出生地が1915年に届け出がされているということを鑑みれば、一家はこの建物の中で生活を営んでいたことがほぼ確定だということを意味しているわけです! さらに調べるとこの建物には碑文が記されています。

 

f:id:findmyancestorincalifornia:20210205111808j:plain

Old Chinatown District

 アメリカ西部の鉱山文化やルート66などの文化的遺産保護に尽力する団体“E. CLAMPUS VITUS”によって、この建物は保存すべき存在とされてます。そこにはこう書かれています。

「およそ1890年の旧中国人街:1850年代に、多くの中国人がカリフォルニアーー彼らが“ガムシャン”=黄金の山と呼ぶ――にやってきた。彼らは他の移民と同じ理由で財産を見つけるためにやってきた。砂金が掘りつくされてしまうと彼らは堤防やダム、高速道路、鉄道を建設する仕事を引き受けた ! 「チャイナタウン」では、人々は彼らがしばしば受けた迫害から解放され、安全と快適さ、そして宗教的な目的のために集まることができた。通常、家族は同じ建物内に住んでビジネスを行う。地下トンネルのネットワークはかつて、これらの構造の多くを接続していた(建物などを地下道で結ぶ秘密のネットワーク)。この地域は、1890年の中国人の存在(900?)と、19世紀と20世紀の文化遺産とのつながりを残している」。

 

 不動産情報サイトに記されていた地下室というのは、恐らくこうしたネットワークに使われていたものの名残なんでしょうね。以前にも述べた、中国からの移民がチャイナタウンを築いたという話は、まさにこの建物が中心地だったのです。当時、東洋人の地位はかなり低かったこともあり、日系移民は中国系移民と近しい存在にあったんでしょうね。きっと宗三郎一家も不慣れな地で苦労したのではないでしょうか。

 

さて、次回もこの住所にまつわる情報をフィーチャーしてみましょう。 更新は3月1日(月)です。お楽しみに!

 

 

本丸。北米加刕コルサ郡コルサ市メエン街七百四拾壱番地

f:id:findmyancestorincalifornia:20210204223814j:plain
 戸籍の記載によると宗三郎一家は、長男誕生の1917年(大正6年)から三女誕生の1920年(大正9年)の間、15 4th Street. に住んでいたことは間違いありません。しかし以前の記事で述べたように、現在のこの場所に一家の痕跡を見つけることは難しいでしょう。一方で、1915年(大正4年)に生まれた長女、田鶴の出生届がなされたのは上記とは異なる住所でした。

 

f:id:findmyancestorincalifornia:20210204231046j:plain


 北米加刕コルサ郡コルサ市メエン街七百四拾壱番地(741 Main Street Colusa)

 

 メエン街とはイカしたカタカナ表記です。では例によって、google mapで検索してみましょう。するとそこは長男以下の生誕地である“15 4th Street”からそう遠くない場所で、同じくサクラメントリバー沿いに位置していることが判ります。

 

f:id:findmyancestorincalifornia:20210204231232j:plain

 ちょうどサクラメントリバーが急角度で曲がるポイントが、その住所に該当します。それではstreet viewに切り替えてみましょう。

 

エッ⁉

f:id:findmyancestorincalifornia:20210204231422j:plain

なんと!

f:id:findmyancestorincalifornia:20210204231446j:plain

これはっ⁉

f:id:findmyancestorincalifornia:20210204231505j:plain

 

 

この煉瓦造りの建物の詳細は次回をお楽しみに!更新は2月25日(木)になります!

 

お宅訪問(バーチャル)から、いきなり脱線。ヴィンテージ・ブリックサイン

f:id:findmyancestorincalifornia:20210203152707j:plain

 

 

 

 北米合衆國カリホルニヤ洲コルサ群第四番街拾五番地にあったのはポーチがあって裏庭もある綺麗な平屋建ての家でした。僕も西海岸に家を持つならこんな感じが理想です。ここが宗三郎一家が暮らした住所に該当することは間違いありません。

f:id:findmyancestorincalifornia:20210203152807j:plain

♬キンコーン♬

「こんにちは!日本から先祖の暮らしを調査に来ました。ここに当時、彼らが住んでいたんです。お邪魔してもいいですかぁ〜?」

なんて言ったところで、いきなり見ず知らずの東洋人が来たら警察呼ばれるかもですね。

 

 さてこの建物。画像からは何となく近代に建てられたんじゃないだろうか、という印象を受けます。アメリカでは築100年クラスの建物をリフォームやリノベーションで使い続けることが多々ありますが、そういう古い建物特有の匂いがしてこないんですよね。冷静に考えて、100年も前の建物が残っていることを期待する方が無理というもの。もちろん現地で詳しく調査する必要はありそうですが、現時点でここに宗三郎の面影を探すのは難しそうです。

 

 

f:id:findmyancestorincalifornia:20210203153200j:plain

 ところで、コルサの町には歴史的な建造物がいまだ多く残されているんですよ。たとえばこのコンパクトながら石造りの荘厳な造りの建物。こちらは全米どころか世界中に建てられた、カーネギー図書館として1905年に建造されたものです。画像の通り、現在はCOLUSA POLICE DEPARTMENT(コルサ警察署)として機能していますが、一見の価値はありますね。

 

 

f:id:findmyancestorincalifornia:20210203153229j:plain
 そして調査の過程でgoogle street viewを使ってコルサの町を散策中に見つけた、こちらの建物も秀逸でした。

 

 日よけのある平屋建てのレンガ造りの建物は昔のグロッサリーストアやジェネラルストアの店構えに似ています。そして何やら絵のようなものがレンガ壁に描かれていますよね。これはかつて、アメリカ各地で盛んに行われていたブリック(レンガ)サイン、つまり広告ですね。その多くは恐らく1950年代くらいまでに描かれたもので、現存するこれらの壁画広告はヴィンテージサイン、もしくはゴーストサインなどと呼ばれ、その価値が見直されつつあります。僕はこうしたブリックサインにも強く惹かれてしまうんですよ。特に今では消滅してしまった会社の(その中でも僕の大好きな衣料関係の)広告だと萌えてしまうのです。

 

 ということで調べてみましたよ。手掛かりは“SELZ”というブランド名と思しきロゴと靴底?のようなイラスト、ブランド名の下にチラッと見える“al Blue”の文字。

 

はい、ヒットしました。

 

f:id:findmyancestorincalifornia:20210203153339j:plainf:id:findmyancestorincalifornia:20210203153356j:plainf:id:findmyancestorincalifornia:20210203153422j:plain

 

SELZ Royal Blue

 セルツはイリノイ州シカゴを拠点とする靴の製造およびディストリビューションを行っていた“Selz. Schwab & Co.”のブランドでした。会社は1890年創業で、1929年まで存在していました。シカゴに4つの靴工場を持ち、日産で1万2000足ものブーツや短靴を供給していたというから驚きです。

f:id:findmyancestorincalifornia:20210203153520j:plain

 

 
 下の画像は当時のポストカードで、営業担当から小売店などへ、グリーティングカードとして送ったものでしょうか。キャプションにはシカゴの本社屋と書かれています。屋上にSelzの旗がなびいていることから、この立派な建物は自社ビルなんでしょうね。ここまで巨大な会社がなぜ潰えてしまったのかは、"1929年"という年で何となくは想像がつきます。恐らくは世界大恐慌の影響で倒産してしまったんじゃないかと……。

f:id:findmyancestorincalifornia:20210203153505j:plain

 

 話が思いっきり脱線しましたが、つまりはこの建物も1929年以前に建てられ、広告もその時代に描かれたもの。歴史の古さを感じさせますね。

 

 脱線ついでに話を続けましょう。実は以前、某SNSに情報提供を募る投稿をしたんです。現地の住人や日系コミュニティからの情報提供を集めるために。そしてついに現地にお住いの日本人の方から連絡をいただけたんです! 

 

 私たち日本人が全然知らないコルサの事情をついに聞くことができたのは大きな収穫です。本題に関する情報は以降の記事に譲るとして、このSelzの建物についての情報もいただきました。google street viewに撮られた画像は2015年より以前のようで、この時点ではいわゆる廃墟でしたが、2016年にリノベーションされて現在では地元の食材やクラフトビールなどを振る舞う“Colusa Made”というBARとして運営されているそうです。

www.colusamade.com

 

 

 同店のHPによると、このレンガ造りの建物は“Samuel Richard Smith Building”という名で、現地では知られた存在で、1890年に建てられたそうです。日本でも官庁や旧家など、明治・大正・昭和初期の歴史的建築物が一部で保存されていますが、19世紀の個人商店レベルの建物が残っているのはカリフォルニアの気候や風土があってこそ、なのかもしれませんね。

 

 さて次回の更新は2月22日(月)です。本題に戻りまして、宗三郎夫婦が第一子を授かった地所についての調査結果を! ご期待ください~。